でも実はイメージ的には、現代の宇宙飛行士か、それよりもマイナーな人気の職業のつもりだったりします。
目次
「あ、サム。おはよー」
声を掛けられて振り返ると、ジョミーは珍しい連れと一緒だった。
入学初日の事故のせいでずっと無愛想な上級生と共に登校していたはずなのに、今日は友人と二人連れでブルーの姿がどこにも見えない。
「おう、おはようジョミー、シロエ。なんだ、とうとう先輩にフラれたのかよ」
一度決めたことをジョミーが覆すことは滅多にないので、置いていかれたのかとからかえば、ジョミーは苦笑するだけで、なぜかシロエが露骨に顔をしかめる。
「少し待っておくくらいのことができない奴が、勝手に先に行っただけですよ。おはようございますサム」
「怒った言葉尻に挨拶続けんなよ……」
サム自身はそれほどシロエと親しくしていたわけではないが、アルテメシアではジョミーや弟のコブを通して、シロエやその弟と行動することもあった。あの頃は少々強がってはいるが素直な子供だと思ったのに、ノアで再会してみると随分態度が変わったような気がする。
特にキースに対して挑むような態度をよく目にするのだが、このところブルーとばかり行動するジョミーはその辺りに関しては気付いていないようだ。
「まあいいや。それよりジョミー、別行動できるぐらい先輩についてなくてよくなったなら、今日あたり一緒にサッカー部の部活を見学に行かないか?男子部と女子部は両方近くでやってるらしいさ」
「ごめん、今朝はアルテラとセンターに寄ったからあの人が先に行っちゃっただけで、ぼくは放課後も迎えにいくつもりなんだ。えー……と、それに、実はぼくここでは部活に入る気、あんまりなくて」
「え、お前が!?サッカー辞めるのか!?」
よく男に間違われるだけあって、ジョミーは昔から活動的に動き回る。特に好きなのはサッカーだが、その他のスポーツにしても持ち前の運動神経の良さで男に混じってよく活躍していたのに。
信じられないと目を瞬くと、ジョミーは肩を竦めて空を見上げた。
「辞めるとは言ってないだろ。部活としてはやらないだけで、遊びとかでならコートに行くよ。でもいい加減本腰入れて勉強しないとマズイからさ」
「勉強?お前が……って、え、まさか再生機構に入りたいってマジだったのかよ?」
「まさかとはなんだ、まさかとは。ぼくがいつ冗談だって言ったんだよ」
「再生機構!?」
シロエも目を向いて驚いている。そうだろう、当然の反応だ。
「だ、だってさ!再生機構のメンバーってエリート中のエリート集団なんだろ!?」
今度は本当に気分を悪くしたらしく、眉を寄せたジョミーに慌てて手を振り回して力説する。
「世界でトップレベルの専門家チームだって言うじゃねーか。ちょっとやそっと勉強して入れるもんじゃねーだろ」
「専門家チームを目指すとは言ってないだろ。ぼくが目指しているのは実務職だよ。地球に直接下りて専門家の理論を実践する、あれ」
「あれは過酷な地球の環境でも問題なく行動できる体力がいるって話だろ!女のお前が選ばれるかよ!」
「やってみなけりゃわからないさ。それに、必要なのは体力だけじゃなくて、チームワークと柔軟な状況判断能力もだ」
「柔軟な状況判断……」
お前が?という目を思わず向けると、ジョミーの機嫌はさらに下降した。足を速めて、つんとそっぽを向く。
「言ってろよ。ぼくは絶対に再生機構に入るんだ」
「そうは言ったってさあ……」
「……絶対に、地球の地面にこの足で降り立つんだ」
背を見せるように前を向いたままの呟くような声は、ともすれば聞き逃しそうになるほどの小さなものであったにも関わらず、ずしりと重くサムの胸に響いた。
「ジョミー……」
「だったら、ぼくとジョミーでチームを組みたいね!」
その元気の良すぎる興奮した声に、一瞬だけ親友の背中を遠く大きく感じた感覚がすぐさま吹き飛ぶ。
「な、なにぃ!?シロエ、お前もか!」
「そうですよ。ぼくも再生機構を目指しているんです。言ってませんでした?ぼくは工学系のスタッフで、ジョミーは降下班希望でしょう?ジョミーと同じチームで地球に行けたら最高だ!」
「シロエも一緒かあ……そうなったら心強いな」
機嫌を良くして振り返ったジョミーの頼りにするような言葉は、ジョミーを慕っているシロエの自尊心を擽ったらしい。
「任せてよ。ジョミーたち降下班の安全を向上させてみせるから!」
「目指す先が逆の立場の方なら、機構に選抜される可能性が少しは上がったかもしれないな」
未来を語って高揚した二人の気分に、水を差すような冷静な声が割り込んできた。
大通りに入ってきたキースに、サムは背後から上がった二つの怨嗟の気配を見ないようにして手を上げる。
「よ、よう、おはようキース、マツカ!」
「ああ、おはよう、サム」
「おはようございます」
ジョミーとシロエの睨みつけるような視線を気にしていないのはキースだけで、一緒に合流したマツカは少し遠慮するように弱々しい笑みで頭を下げる。
「おはよう、マツカ」
「どうも」
キースの発言が気に食わなかった二人は、わかりやすくマツカにだけ挨拶を返した。キースも二人のことは完全に無視をして、サムの隣に並ぶ。
「お、おいキース」
「本当のことを言ったまでだ」
キースが言葉を選びそこなうことはよくあるが、それにしても今日は随分刺々しい。それも、いつもやたらと挑発してくるシロエだけでなく、今日はジョミーに対しても冷たいような気がする。
「なんだよ、ジョミーと喧嘩でもしたのか?」
こっそりと訊ねながら、だが昨日までは特にそれらしい様子はなかったように思う。キースも同じように目指している地球再生機構を軽軽しく見られているようで気分を悪くしたのだろうか。
耳打ちをされたキースは、サムを振り返り眉を寄せて何か言いたげな表情を見せたが、結局何も言わずに前に向き直った。
「別に」
「ジョ、ジョミー?」
「別に」
振り返るとまったく同じ言葉で顎を逸らすように向こうを向いたジョミーに、どうやら何か揉めたらしいと溜息を零す。
「そ、そういえばジョミー」
刺々しい雰囲気に、サムと同じく気まずい思いをしているらしいマツカが手を叩いて話題の転換を図った。
「どこか大きな怪我をしたんですか?」
マツカの話に、顕著な反応を示したのは何故かキースで、ジョミーは目を瞬いて首を傾げた。
「は……なんで?」
ジョミーの鈍い反応に、マツカは戸惑い言い訳するように手を振る。
「い、いえ、先ほどブルーさんが兄さんにファントムペインの話を聞いてきたんです。それで……」
「ああ、あれ。タージオンが大袈裟に騒いだだけで、怪我って言っても擦り剥いた程度だよ」
ガーゼと保護テープを貼った掌をひらひらと振ってみせて笑うジョミーに、マツカは安心したように胸を撫で下ろした。
「元気そうだったらどうかな、とは思ったんですが、何か大きな怪我をしたのかと心配していたんです」
「なに、あいつマツカたちに聞くなんてまだ疑ってたの?」
やはり顔をしかめたのはシロエで、ジョミーは軽く肩を竦めるだけだった。
「………胸部の怪我を疑っているんじゃないのか?」
肩越しに振り返って、キースにしては珍しく控え目に提示された疑問に、これもまたシロエが激しく反応して足を速めてキースに詰め寄る。
「そうでしたキース!この変態!よくもジョミーの前にのこのこ顔を出せましたね!」
「へ、変態だと!?」
「変態を変態と言って何が悪いんですか!」
にわかに騒がしくなった二人に、周囲の注目が集まる。
「まーまーまー!落ち着けって二人とも!」
朝から変態だなんて公道で指を突きつけられて憤るキースに、サムは慌てて二人の間に割って入った。
この話のジョミーとブルーは、うちでの普段と逆で楽しいです。
とはいえ立場が逆でも、たぶんジョミーはブルーほど余裕はないと思われます。
そうなると、そんな女の子に頑張らせているブルーはヘタレというこ……(以下略)
「ブルー!」
街中で、嬉しそうな声を掛けられた。
以前にはなかったことで、最近では慣れつつあるそれ。
だが振り返れば、カボチャの被り物がいるという状況には絶句した。
「………何をしているんだ、君は」
「知らないの?ジャック・オ・ランタン」
野菜を象った頭部全体を覆うマスクの奥の翡翠色の瞳が楽しそうに眇められ、そんな動きにくそうな格好に反して、身軽にくるりと回ってみせる。身体を覆う黒いケープの裾が揺れて、スニーカーを履いた白い足が僅かに覗く。
それは知っている。誰がそんなことを聞いた。
ブルーは嫌そうに眉をひそめてオレンジ色のマスクを見やる。
「今更ハロウィンという歳でもないだろう」
確かにパーティーなどは好きそうなタイプだとは思うが、街中にそんな格好で繰り出す歳ではもうないはずだ。
「違います、ぼくは付添い」
ケープの下から伸びた白い手が指を差す方を見ると、すぐ傍の家のポーチに仮装をした可愛らしい影が三つ見えた。
なるほど、妹とその友達に付き合ってのことかと納得したところで、目の前のジャック・オ・ランタンは首を傾げた。
「ところでブルー、なにかお菓子持ってますか?」
「僕がそんなものを持ち歩いていると思うか」
「ですよね」
頷いたジャック・オ・ランタンはケープの下でごそごそと手を動かして、やがて拳を突き出した。
「はい、これ。お菓子をあげないとアルテラたちに悪戯されますよ」
誰もそんな遊びに付き合うなんて言っていない。今のうちに立ち去れば関係ないと言おうとしたが、突き出された拳を押し付けられ、数個の飴を渡される。
「君な……」
「いいじゃないですか。Trick or Treat!って言われたらお菓子をあげるだけなんですから、付き合ってあげてくださいよ」
飴をつき返されないようにジャック・オ・ランタンが一歩下がったところで、元気に弾んだ少女の声が聞えた。
「あ、ブルー!いいところにっ」
とんがり帽子にお菓子のステッキを手にした可愛らしい魔女が、お菓子をもらい終えた家のポーチから体重を感じさせない軽やかさで飛び降りた。
黒いケープは姉妹揃って同じだが、最終的な出来は姉と妹で雲泥の差だ。
魔女の後ろには狼の耳と牙を付けた少年と、白いシーツを頭から被った少年が続いている。
友人の弟も一緒なら、ジャック・オ・ランタンは友人に任せて姉妹揃いの魔女の仮装でもすればいいものを。
小さな魔女に見つかったブルーは二重の意味で溜め息をついた。
「ブルー!Trick or Treat!」
地を蹴った魔女は魔法ではなくサイオンでふわりと飛び、ブルーに抱きつく勢いで手を差し出した。
抱きとめるというより、抱きつかれないようその身体を両手で受けたブルーの掌から、渡されたばかりの飴が滑り落ちる。重力に従って地面へと落下した飴は、だが地面と激突することなく空中で停止した。
数個の飴はそのまま均等に分かれて三人の子供の下へと移動する。
「あ、タージオンずるい!イチゴ味はわたしの!」
どうやら力を使ったのはシロエの弟のようだ。
ブルーが地面に降ろすと、目の前に運ばれた飴を手にしたアルテラはケープを翻して友達の方へと駆けていく。
「……君の妹は君に似て奔放だ」
「だってぼくの妹ですから」
むしろ嬉しそうに返されて、ブルーは額を押さえながら溜息を零した。
「ありがとう、ブルー!」
「お菓子をありがとう!」
飴を分け合った子供たちから元気よく礼を言われて、自分で用意したわけでもないお菓子の礼に複雑な気分になる。
おざなりに手を振って返答しておくと、子供たちは元気よく次に訪ねる家を相談しながら歩き出した。
「ブルー」
ようやく行ったかと息をついたブルーの目の前に、白い手が差し出される。
「Trick or Treat」
手を辿って目線を上げると、大きくくり抜かれたジャンク・オ・ランタンのマスクの口の奥の唇も笑っている。
ジャック・オ・ランタンのどこかグロテスクな笑みとは対照的に、形のよい桃色のそれは可愛らしいものではあったが。
「君は付添いじゃなかったのか?」
「せっかくこんな格好をしてるんだから、ぼくも言ってみたくて」
「言うのは勝手だが、僕が何も菓子など持っていないのは知っているだろう」
「固いなあ。そういうときは、別の物に替えてもいいじゃないですか」
「別の物?」
ケープの下から伸びた手がマスクを外すと、ジャック・オ・ランタンの下から柔らかそうな金の髪が流れて、今日ようやくジョミーの顔をまともに見ることができた。
大きなマスクが相当暑かったのか、既に肌寒い季節にも関わらず僅かに汗ばんだ額についた前髪を軽く払い、マスクを小脇に抱えてブルーの肩に手を置く。
「お菓子がないならね」
肩に置いた手に軽く力を入れて、ジョミーは僅かに踵を浮かせて背伸びをした。
一瞬の出来事だ。
だが確かに触れた柔らかな感触が残っている。
「『甘いキスをあげる』……くらい言ってくれてもいいのに」
呆然と立ち尽くすブルーがおかしかったのか、艶やかな桃色の唇が軽く弧を描いた。
呆然と立ち尽くしているのに、その唇から目が離せない。
一瞬だった。だが、確かに触れた。
「なっ………」
何をされたのか、ようやく理解したと同時に腕を上げて顔を半分、ジョミーから隠した。
一瞬にして顔が熱くなった、その様子を見せたくなくての咄嗟のことだ。
ブルーの激しい動きに、肩に置いた手を振り払われた形になったジョミーは、だがおかしそうに笑いながらマスクを被り直す。
「イタズラ成功!」
「い、悪戯!?」
ジャック・オ・ランタンに戻った少女は、やはりその動きにくそうなマスクを感じさせない軽やかな足取りでくるりと舞うように踵を返し、振り返りながら手を振る。
「じゃあぼくは、アルテラたちを追いかけるのでこれで!Happy Halloween!」
既に遠くなっていた子供たちの背を追って、ジャック・オ・ランタンは駆けて行く。
「君は……」
遠くなっていく背中を見送りながら、ブルーは柔らかな感触を覚えている頬を手の甲で抑える。ぐらりと足元が揺らぎ、近くにあった家の壁に背中を預けた。
「君の悪戯は、性質が悪すぎる……!」
頬へのキスなど挨拶だ。それこそ悪戯と言うほどの悪戯ではない。
そう思うのに、小悪魔のような笑顔を見せる艶やかな唇が脳裡から消えてくれず、ブルーはしばらくその場から動けなかった。
気がするだけとも……。
目次
支援センターへ向かうジョミーの友人の背中を見送りながら、後に続くか迷ったのはほんの数秒のことだった。
ここで待つという選択肢もある。ブルーに一言も告げる暇なく引きずられて行ったのだから、ジョミーなら慌ててすぐにでも帰ってくるかもしれない。
だがそれを待つより、ブルーは踵を返して先に学校へ向かうことにした。
ブルー自身はさしてミュウに関して詳しくはないが、幸いというべきかミュウの友人はいる。
ジョミーの友人であるという少年の言葉を疑っているわけではないが、どうしても腑に落ちないのだ。
これで友人からも同じ答えが帰ってきたら納得するのかといえば、正直なところ自信はまるでない。聞きたい答えだけを求めた質問に意味などあるのだろうか。
だが、どうしても腑に落ちないのだ。
目当ての人物には、教室に行く前に会うことができた。通学中の後姿を発見したブルーは、気が急くように足を速める。
「リオ!」
ちょうど道を分かれようとしていた弟と一緒に、リオが振り返って首を傾げた。
「あれ、今日は一人ですか?」
あれだけ鞄を待つ、送り迎えをすると息巻いていたジョミーの姿が見えないことに首を傾げるだけのリオの横で、マツカは珍しい物でも見たかのように目を瞬いている。
そんな二人ののんびりとした様子には目もくれずに、足早に追いついたブルーはリオの腕を掴んだ。
「聞きたいことがある。君は人の痛みを引き受けることが可能か?」
「なんですか、一体?」
朝の挨拶すらも惜しんで唐突に向けられた質問がこれだ。リオが驚くのも無理はない。マツカなど瞬きすら忘れている様子だ。
そのマツカにも、目を向ける。
「君はどうだ、マツカ」
「ぼ、僕ですか!?」
鞄を両手で胸に抱きかかえ、声を裏返して怯えたように肩を揺らした弟に、リオがその頭を優しく撫でながら苦笑を漏らす。
「急にどうしたんですか?痛みを引き受けるって、僕やマツカに訊ねるということは、サイオンでの話ですよね?」
「ジョミーの知り合いの子供が言っていたんだ。ジョミーの怪我の痛みを引き受ける、と。強いサイオンを持つ者にしかできないとも聞いたが、事実か?」
「事実だと思いますよ」
頭を撫でていた手を肩に落として、軽く二度ほど宥めるように叩いてから、リオは弟を送り出すように軽く押し出した。
リオに話が聞ければ十分なので、それに関しては特に気にすることもない。どこか……恐らくキースの家の方へ向かうつもりなのだろうマツカに目だけで頷いて見せると、マツカは無言で頭を下げて踵を返す。
「少なくとも僕やマツカにはできません。あれはタイプブルー並みの力が必要だと聞いています。痛みを共有するだけなら、誰でもできるんですけどね」
弟の背中を見送りながら学校へ向けて歩き出したリオと足を並べ、ブルーは眉を寄せる。
「……引き受ける、というからには、もちろん引き受けた側に痛みがあるわけだな?」
シロエという少年が言っていたように本来の幻視痛から名前を持ってきたことを考えれば、そのはずだ。だが一応と確認すれば、リオは肩を竦める。
「ですから、わかるわけはないでしょう。僕はしたことも、されたこともないんですから。ただそういうものだと聞いたことがあるだけです。それで、一体それがどう……」
「……ジョミーが、僕の怪我と同じ場所を痛めている」
リオの足が止まった。ブルーも足を止める。
「夢を見た。僕が眠気で早退した、あの日だ。部屋にジョミーがいて、僕の怪我の痛みを誤魔化したと言った。目が覚めれば、当然部屋には僕しかいない。だが痛みは驚くほど小さくなっていた。あの日から、僕は薬を飲んでいないが、痛みに悩まされることはなくなった。そして夢の翌日、ジョミーは胸を痛めていた」
偶然か?
目で問い掛ければ、リオは難しい顔で眉を寄せる。
偶然だ、思い込みだろう。
そんな答えも予想してたが、リオは即答を避けた。
「……ジョミーはミュウではない、と聞いています」
「僕もだ。だが自覚のないミュウだとして、怪我をさせた罪悪感で無意識にサイオンを使ったという可能性はないか?」
「ありえません。他人の感覚を弄るなんて真似を無意識にしてしまうような力なんて、気がおかしくなりますよ。他人と自分の境界が曖昧になっていなければできない。普通は意識して働きかけない限り、サイオンは生命に対して受動的なものなんです」
「では、ミュウだということを隠している可能性は?ジョミーの妹が、昨日から完全に思念を閉ざしていると言っていた。あの歳でそこまで完璧に思念を閉ざせるものか?」
「思念を閉ざせると言えば、あなたもでしょう」
長年の付き合いのリオは呆れたように肩を竦めて、軽く首を振る。
「隠すなんて無理です。あなたも何度もESPチェックは受けたでしょう。ごく微弱なサイオン波形すら見つけ出すチェックなのに、強い力を持つならなおさらです。それに意味がないですよ。ジョミーのご家族がミュウを嫌っているのならまだしも、ジョミーにはミュウの妹がいて、ご両親とも仲がいいのでしょう?」
「そう……だな……そうだ、確かに」
隠している、意味がない。
可能性を潰していきながら、それでも納得できない自分を自覚している。
ブルーが黙り込むと、今度はリオが納得していないような声で「でも」と呟いた。
「でも……僕も、実は僕も疑問に思っていました」
ゆっくりと顎を挙げ、顔を向けると、リオはブルーを見下ろしていた。
「初めて会ったとき、僕はジョミーがミュウだと思い込んでいました。違うと言われて驚いて、そして納得できなかった」
一度言葉を切ってブルーを伺うリオに、無言のまま視線で続きを促す。
二人はすっかり足を止めて話し込んでいて、その両脇を同じ目的地を目指す学生たちが通り過ぎていく。
「先ほど、あなたも思念を閉ざせるといいました。でもジョミーは完璧すぎるんです。後になればなるほど、そう思わずにはいられない」
「探ったのか?」
彼の思考を。
禁じられているはずの行為を試みたと、堂々と言ってのけた友人に驚いた。この友人が穏やかで人がいいばかりではないことは知っていたが、それにしても大胆な告白だ。
リオは緩く首を振った。だがすぐに首を傾げる。
「いいえ。ああ、でも、はいともいえます。ジョミーがあなたの上に降ってきたあの日、ジョミーがあなたを初めて目にしたあの瞬間……」
リオは眉を寄せて視線を行く先の方へと転じた。ブルーもそれを追う。
この道路のずっと先、下り坂になったその先で、ジョミーと初めて出逢った。
「ジョミーの感情は凄まじいほどに揺れていました。閉じていた僕の思念を揺るがすほど、動揺していた。僕はその波に飲まれそうなほどでした。でもたった一瞬で、それらを全て消し去ってしまった。それからは意図して探っても、まったく感じられないほど完璧に」
なぜそんなに動揺することがあったのか。
初めて目を合わせたときの、ジョミーのあの泣き出しそうな、嬉しそうな、苦しそうな、その表情を思い出す。一瞬で消し去ってしまったあれは、やはり見間違いなどではなかったのか。
「チェックをすり抜けるはずがありません」
ブルーの意識が他所へ向いた間にも、リオの話は続いていた。疑問ばかりが増えて行く。
「ですから、もしかするとジョミーの家族は、家族ぐるみでジョミーがミュウであることを隠しているのではないかと、疑っていたのですが……」
「それこそ何のために」
リオの出した結論に、ブルーは思わず反射的に否定的な声を上げた。最初にジョミーがミュウではないかと疑問を投げかけたくせに否定したブルーを、リオは責めなかった。代わりに、困ったように眉を下げる。
「そうなんです。それもまた、理由がないんですよね」
違う、そうではない。ブルーが聞きたかったことはそうではない。
リオはチェックを素通りできるはずがないと言った。実際、300年前のSD体制化のチェックでは稀に、それこそ奇跡に近い確率であったがチェックを抜けた例があるという。だがそれを教訓に、今では更にチェック方法が細分化されてそのようなことはもうありえないとされてはいる。
だが本当にそうだろうか。
300年前だって、当時はミュウがESPチェックをすり抜けることがあるなんて思っていなかったはずだ。だが実際には、片手で足りほどとはいえ、例がある。
今だってそうではないと、どうして言い切れるだろう。
そう、ブルーが疑っているのは、そういうことだ。
よりによって前回、サイオン能力に勝手なパターンを作っていたところで終わっていたんでした。ギャース!
サイオンの基本能力はテレパスですし、カリナの出産のときに痛みを共有したりもあったので、その応用みたいなものだと思っていただければと(^^;)
しかし久々の更新で、番外編にしようかと迷ったブルーが出ない話です(……)
目次
ジョミーが自覚のないミュウの可能性だとか、急におかしなことを訊ねてきた上級生が一人思考に沈むと、シロエはジョミーたちの後を追ってセンターに足を向けた。
今日もジョミーと一緒に登校してきたのかと思えばムカムカと苛立ちを覚える相手に、律儀に疑問に答えたのだから十分だろう。
建物内部に続く自動扉をくぐると、ホールの入口でジョミーと弟が押し問答をしていた。
「だからいいって!ちょっと擦り剥いただけで大した怪我じゃないし」
「消毒なんてすぐに済むよ!時間だってまだ大丈夫だろう?なんでそんなに急いでるのさ!」
「連れがいるんだよ。急がないとブルーが行っちゃうかも……」
「一緒にいた人?友達だったらもうすぐ兄さんと一緒に来るんじゃないの?」
「そ、それは……」
言葉に詰まったジョミーは、建物に入ってきたシロエに気づいて、そしてその周囲を視線で探ってがっかりとした様子で眉を下げた。
「友達っていうか……と、とにかくもう行かないと」
ブルーがいないことに落胆したとはわかっているが、自分では期待外れだと言われたようで少し腹が立つ。
ちょっと友達甲斐がないんじゃないのと嫌味を言うより先に、タージオンが爆発した。
「やっとジョミーに会えたのに!そんなにすぐに行っちゃうことないじゃないか!ジョミーはぼくのことなんてどうでもいいんだ!」
「お、おいタージオン!な、何も泣かなくても……」
拳を握り締めて、俯いて涙を零すタージオンを前に、ジョミーは慌ててしゃがみ込んで俯いたタージオンを下から覗きこむようにして、その頬を優しく撫でる。
「そんなこと言ってないよ。ただあの人に、先に行ってもらうとか、待っていてください……はちょっと言い辛いか。一言もなく置いてきちゃったからさ。それが気になっただけなんだ。タージオンに会えるのをぼくも楽しみにしてたよ」
「嘘だ。あんなにすぐにどっかに行きたそうにしてたのに」
「嘘じゃないって」
「………せっかく……せっかく久しぶりに会えたのに……ノアに来てから全然センターに来てくれないし……」
「ノアについてすぐには来たよ。アルテラの登録が必要だったしさ。入れ違いになってただけだ。でも、ごめんな。そんなにぼくに会うのを楽しみにしてくれたなんて思わなくて……」
ジョミーがそっと抱き寄せると、タージオンはその肩にしがみつくようにして顔を埋める。
子供は素直に我が侭を言えて羨ましい。
編入早々に事件があったからとはいえ、せっかく同じ学校の、しかも一緒のクラスになれたのに、ジョミーは何かと上級生の所へと行ってしまう。
だがまさかタージオンのようにそれが寂しいと癇癪を起こせるはずもない。
ジョミーと初めて会ったのは、タージオンのサイオンが強くなりすぎて抑制が上手くいかなくなった頃のことだ。
強すぎるサイオンに振り回される弟をどうにか手助けしようとシロエが精神感応を試みると、瞬発的なサイオンを持つシロエまでそれに影響されるという始末だった。
そんなとき、アルテメシア星のセンターにミュウではないのに下手なミュウ以上に、強いサイオンを収められる子供がいると言われ、ものは試しにと兄弟でアタラクシアのセンターに送られた。
そこにいたのがジョミーだ。
ジョミーは時に不安定になる妹のアルテラと、友人の弟であるコブという二人のサイオンの強い子供に深い信頼を寄せられていた。
ミュウの力は想いの力。
シロエは初め、ジョミーの話は単に兄妹だとか、知り合いだとか、そんなことが影響しているだけだろうと期待もしていなかった。兄である自分が弟を守れないのに、たまたまアルテラ、コブとサイオンの強いミュウと付き合いの深いというだけのジョミーになにができると反発した部分もあったのかもしれない。
タージオンが先に馴染んだのも同じミュウであるアルテラで、その延長でジョミーと付き合い始めたようなものだった。
そうやって打ち解け始めると、ジョミーが周囲の人たちとは少し違うことがわかり始める。彼女は感情も思考も、隠そうともしない。他のセンターの職員達とは違い、感情を晒そうと努力するのではなく、あくまで自然に、あるがままで。
人の感情に触れることを恐れるのは、人間もミュウも同じだ。触れられるほうだって嫌な思いをするかもしれないが、人があえて表に出さない感情を拾ってしまう方だってつらい。それは時に家族であっても。
だがジョミーの感情はあまりにも率直で、それが怒りのようなものであっても触れてつらいという感覚はなかった。
ジョミーとアルテラが「兄妹」ではなく「姉妹」だと知ったのも、誰から聞いたのでもなくジョミーの思考を読んでのことだ。失礼なくらいに驚いたシロエを、ジョミーは笑うだけで少しも怒らなかった。
その傍が心地よいと、そう気づけば、心に強く左右されるミュウにとって心が惹かれるのは道理だ。
彼女が妹と友人の弟に信頼されたのは、その関わりに拠ったものではなく、ジョミーがジョミーらしくあり続けたから、信頼されるような関わりになったのだ。
皮肉なことに、タージオンがジョミーに懐きサイオン値が安定すると、それが別れの期限でもあった。
ジョミーたちがノアに来ると聞いたときは、兄弟揃ってどれほど喜んだことか。
ジョミーに会える、アルテラに会える、コブにも会えると家の中を飛び回る弟に両親は苦笑していたが、落ち着いて見せていたシロエだって嬉しくて跳ね回りたいくらいだった。
それなのに。
「なのにあいつが……」
会えることを心待ちにしていたジョミーは、ブルーに掛かりきりだ。怪我をさせた負い目があるのがわかるから少し寂しくても仕方がないと思っていたのに。
いくらジョミーが加害者だからって、ブルーのあの態度はなんだ。そんなに気に入らなければジョミーをとことん突き放せばいいのに、中途半端に突き放すだけで結局世話をさせて、ジョミーを独占する。
「ジョミーの気が引きたいだけなんじゃないのか?」
シロエが小さく吐き捨てた声に被せるように、ようやく落ち着いたタージオンの背中を軽く叩きながらジョミーがおずおずと訊ねた。
「あのさシロエ……ブルー先輩は……」
「さあ?先に行ったんじゃない?」
「そっか……」
ジョミーが溜息を零す後ろに、救急箱を手にしたコブがアルテラと駆け戻ってくる姿が見えた。
「あー!タージオン、ずるい!」
ジョミーに抱きついているタージオンに遠くから抗議が上がると、泣きついたところを見られた気恥ずかしさからか、タージオンはジョミーからすぐに離れて飛びのいた。
「ち、違うよ!泣いてなんかない!」
聞かれてもいないことを叫んで言い訳する弟にシロエが呆れる中、ジョミーは微笑ましいとでもいうように笑うだけだ。
「そういえばさ」
駆けつけたアルテラたちと、誰がジョミーの怪我を消毒するかで揉める弟を放っておいて、シロエはジョミーに目を向けた。
「さっきあいつが変なこと言ってたよ」
「あいつって……シロエ、ブルーは年上なんだから……」
「ジョミーにファントムペインが使えるかって」
溜息をついていたジョミーは、不審そうに眉を寄せる。
「……なんで?」
「さあ?あいつがどうしてそんなことを考えたのかなんて、ボクは知らない」
「シロエはなんて答えたの?」
「ジョミーはミュウじゃないから無理だって」
「………だよね」
大きく頷いたジョミーは、何かを考えるような様子で黙る。
けれどそのすぐあとに、アルテラに不意打ちのようにいきなり掌の傷に消毒液を塗られた痛みに悲鳴を上げた。