というわけで、あともうちょっと続きます(汗)
「おー、ジョミー。どうした、そんなに慌てて。まだ昼休み時間あるぞ」
「へ、へ、へ……変な男が……」
「え、なに?」
息を切らせて教室に駆け込んできたジョミーに、着替えの途中だったサムが振り返る。
ジョミーは自分の後ろを指差しながら、変な男が出たと言いかけたところで、はたと止まった。
一体、なんと言えばいいのだろう。監視者だとかシンマだとか訳のわからないことを言われて、襲われそうになった相手の武器は、爪。
男の爪が伸びて刃物のようになったところを見たジョミーは信じるも信じないもないが、話だけ聞かされてあんなことを信じられるはずもない。
「………帰る」
「はあ?」
「ごめん、早退する。先生に言っといて」
「え、ちょ、おいジョミー!」
ジョミーは自分の鞄を掴むと、その中に制服を詰め込んで着替えもせずに教室を飛び出した。
あのまま教室にいて、もしもあの男が飛び込んできたらどうすればいいのか分からない。
見た目は人間だったけれど、爪が伸びたことも、あの一瞬でジョミーの前に回り込んだ速さも、到底人間とは思えない。あんなのに人前で襲われたら、なんと言い訳をすればいいのか、それにサムたちを巻き込むわけにもいかない。
「家に帰って……いいのかな………でもどこかに行く当てがあるわけじゃないし……そうだ、目覚めがどうとか……ぼくが14歳になったら何かあるのか?」
だとすれば、明日だ。明日まで時間を稼げばいい。それで事態が良くなるという保証はどこにもなかったが、悪くなるとも限らない。
はっきりしているのは、今のままでは何の対応もできないということだけだった。何しろあの黒ずくめの男の動きはさっぱりジョミーには見えなかった。
「一日くらいなら……鍵を掛けて家に閉じ篭ればどうにかなるかな」
家路の間、途中であの男に襲われることが気がかりだったけれど、家までは何事もなく帰り着くことができた。
「ママ!ママ!」
何をどう説明すればいいのか分からないけれど、家にいたら危険かもしれない。両親にはどこかへ避難してもらいたくて、言い訳の言葉も考えていないのに、家にいるはずの母を捜して駆け回る。だが見つけたのはリビングのテーブルにあった書置きだった。
「『出かけてきます。パパもママも帰りは遅くなるから、先に寝ていてください』。……ママ遅くに帰るなら帰らないほうがいいのに」
慌てて携帯電話に連絡を入れてみると、すぐ近くで呼び出し音が鳴る。
「マ、ママ……携帯忘れてる……」
父親の携帯電話に連絡をいれても、空しくコールが鳴るだけで通話にはならない。
「留守電にすらならないよ。どうなってるの?」
イライラと携帯電話をテーブルに置くと、何か武器になるものはと家の中を探してみる。
「包丁……は、逆に危ないかな……あとは、パパのゴルフクラブくらいか……」
考えた末に結局ゴルフクラブだけを手に、手早くシャワーを浴びて汗を流すと、それを抱いて部屋に戻った。
「二人とも……帰りが明日になればいいんだけど……」
ベッドに座り、頭からブランケットを被ってクラブを抱き締める。
「……こんなもんで対抗……できるわけ、ないよな」
溜息が零れるけれど、何も持っていないよりはましだ。
とにかく明日、それが日付を越えてすぐなのかそれとも明日が終わるまでなのか、それどころか本当に明日になればどうにかなるか。
まんじりもせずにベッドの上で、クラブを抱き締めて過ごした。
携帯から流れる着信音で目が覚めた。
目が……覚めた。
「うわ!寝てた!?」
ゴルフクラブを抱き締めて、前のめりに船を漕いでいたジョミーは、こんなときに眠っていた事実に驚いて飛び上がる。その拍子に被っていたシーツがベッドへと落ちた。
慌てて明かりをつけて部屋を見回し、時計に目を留める。
「明日まであと5分……か。これと言って特に何もないよな……そうだ!ママとパパは……っ」
帰っているのだろうかとベッドから足を降ろしたジョミーの後ろから、白い手が伸びて頬を掠める。
「うわーっ!?」
誰もいないはずの部屋で後ろから抱き込まれれば、何もないときにだって悲鳴を上げるだろう。まして、今はよく理解できないことに巻き込まれている。
またあの男かとゴルフクラブを握っていた手を振り回すと、白い手がそれを軽く止めた。
「ジョミー」
「え……あ……」
聞えたのは、あの男の声ではない。
もう一人の、ジョミーを助けてくれたと思われる、銀の髪の青年のものだ。
そろりと肩越しに振り返ると、やはりジョミーを後ろから抱き締めていたのはあの青年だった。
「ど、どこから……っ……って………なんかすごく無意味な質問っぽい……」
「そうだね。僕ら神魔には、人の造りし物への干渉は何の障害でもない」
「し……しんまって、何……?」
後ろから抱き締める手を軽く叩いて、放して欲しいと意思を示してみると、青年はすぐに腕を解いてくれた。やはり、彼はジョミーを助けてくれるつもりなのだろうかと、つい少しだけ安心して吐息を漏らす。
「神魔とは、神であり魔とも呼ばれるもの。人にとっては、ね。人が呼び名を変えるだけで、本来僕らに神聖だとか邪悪などと違いはない。この世界を人に譲り、闇に住まうと決めた人ならざる者たちのことだ」
「え、えっと……?」
分かるような、分からないような、とにかく人間ではないことだけは理解できた。それはもうとっくに理解していたけれど。
だがこの青年が人間ではないというのは、爪が伸びたあの男とは違うところで酷くジョミーを納得させた。
透き通るような白い肌や、美のための計算し尽くされた高い鼻梁を持つ美貌。月の光を集めて染め上げたような銀の髪も、ルビーを溶かしたような赤い瞳も、すべて人ではないと言われたほうが自然なほどだ。
ベッドに手をついて青年と向かい合うように座り直すと、握っていたゴルフクラブは横へと置いた。
青年がそれを見て、目を細める。
「君はその監視者の血を引く」
「ぼく?で、でも、ぼくはそんな大それた事なんて」
「目覚めていないだけだよ。神魔をみな、闇に沈め、僕らが人の世に出てこぬようにと見張りをする」
そんなことを急に言われても。
眉を潜めて、ジョミーは恐る恐ると青年を伺った。
「人違いじゃ……なくて?」
「……そうだったら、どんなによかったか」
青年の目が時計に向いた。
「もうすぐ君は14歳になる」
「う、うん……そう、だけど」
「この世界に存在してよい神魔は、君たちの一族と、門番としてこの世と闇の狭間にいる長だけだ」
「じゃ、じゃああなたはその長なの?」
だから助けてくれたのかと、青年ににじり寄ると、悲しげな笑みを返された。
「違うよ」
「え、だって……」
「それ」
青年は白いグローブを外しながら、ジョミーが傍らに置いたゴルフクラブを指差した。
「君の武器ではなかったのかい?」
「う……こ、こんなので昼間のあいつに対抗できるとは思わないけど、でも何もないよりはマシかなって」
「どうして手放したんだい?」
グローブを外した手が、ついとジョミーの首に掛かった。
「え……?」
ひやりと冷たい指がジョミーの首に絡みつく。
「たとえどれほど無力なものでも、狩人の前で武器を手放すのは愚かなことだ」
「ど………いう……こ……」
喉に掛かった指に、力が篭る。
「初めに会ったときに、こうしておくべきだった。……こうするつもりだったんだ」
「待っ………」
赤い瞳は、痛みに耐えるように細く歪められた。
「滅びよ、監視者の血」
原作のレムレスよりキースの出番が増えたー。次で終わるのかとっても不安な中編です。
「新たな監視者」
「もうすぐ十四となる」
「目覚めの刻」
「目覚めよ、ジョミー」
「ジョミー!行ったぞ!」
大声で怒鳴られて、ジョミーははっと背筋を伸ばして振り返った。その横を、ボールを蹴ったクラスメイトが駆け抜けていく。
「あっ」
「ジョミー!なにやってんだ!試合中にぼうっとすんなよ!」
「ごめん!」
慌てて抜かれた敵チームの友達を追いかけたけれど、追いつく前にゴールを決められてしまった。
「らしくないぞ、ジョミー。英語とか数学ならともかく、体育の、それもサッカーの授業中にぼうっとするなんて」
「英語や数学ってなんだよ。ぼくは真面目に授業を受けてるぞ……時々寝るけど。あー……悪かったよ。ちょっと寝不足で」
グラウンドを走り回ってひりつくように乾いた喉を抑えながら水道の順番を待っていたジョミーは、空を見上げて溜息をついた。
一度見た夜から、頻繁に見るようになった夢。
綺麗な青年が出てくるほうではなくて、木のお化けのような影に囲まれる夢だ。そのうちただ囲まれるだけではなくて、声まで聞こえるようになって、さらにあまりに夢に見すぎたのか、最近では昼間でも声だけだが聞こえるような気がするときがある。
「……14歳、か……」
「あ、そういえばお前、明日誕生日だっけ」
「えっ」
独り言で呟いたつもりだったから、サムに言われて驚いてしまった。周囲が一斉に振り返る。
「そうなのかよジョミー」
「じゃあ明日は何か奢ってやるよ」
「全員からジュース一本ずつ、とかな」
「なんで全員でジュースなんだよ。重いじゃないか」
「気になるのはそこかよ!」
頬を膨らませて抗議するジョミーに、順番を代わったクラスメイトは肩を竦めて笑う。
「だってお前、最近やたらと何か飲んでばかりだろ」
指を差されて、順番が回ってきたジョミーは顔を洗うより手を洗うより、まず蛇口に口をつけていることに気がついた。
「んー……」
冷たい冬の水が喉を通ると、少し喉の渇きが収まったようで、口元を拭いながら首を傾げた。
「なんだろうな、飲んでも飲んでも全然すっきりしなくてさ。乾燥してんのかな」
「普段から暖房とかつけっ放しにしてるんじゃないのか?よくないぞー」
ひらひらと手を振って、水道を使い終えたクラスメイトたちが先に教室へ帰っていく。一人、隣に立ったままのサムに気づいてジョミーは顔を洗う手を止めた。
「サム、どうかした?」
「……最近なにか悩んでることでもあるのか?」
「はあ?」
一体なんのことだと笑おうとして、サムの表情が真剣なことに一度蛇口を閉める。
悩んでいるといえば、悩んでいる。だが夢で見る声を昼間にも聞くだなんて、疲れているとしか結論なんてでないだろう。昼間は影をみていないとはいえ、ひょっとすると寝不足から一瞬だけ意識が落ちているだけかもしれない。
「いや、本当に寝不足なだけだ。喉が渇いて、夜中にも何度も目が覚めて」
「ええ!?寝てても喉が渇くのか?毎日?お前それは一度病院に行った方がいいぞ」
「かなあ?でも喉が渇くだけで、熱があるわけでも咳が出てるわけでもないし、他はどこも悪くないから……」
「いーや、甘く見るなよ。異常なまでの喉の渇きっていうのは何かの重大な病気のサインってこともあるからな」
「うーん……」
蛇口を開けてジョミーは手を洗いながら、空を見上げて唸りを上げ、サムに視線を戻すと頷いた。
「じゃあ明日、登校前に病院に行ってくるよ」
「そのほうがいいって。病気じゃないならないで、安心できるしな」
「うん」
ジョミーが素直に頷いて安心したのか、サムは手を振って先に教室へと歩き出した。
その背中を見送ってから顔を洗ったジョミーは、流れる水に再び喉の渇きを覚えて口をつける。
確かに、さすがにこれは異常かもしれない。
水を滴らせながら蛇口を閉めて、濡れた手の甲で口を拭いながら乾いたタオルに手を伸ばす。
「目覚めの兆候だな」
聞き覚えのない声に振り返ると、先日街路樹の傍らに佇んでいた、黒ずくめの男が校庭の木にもたれて立っていた。
「うわぁっ!?」
タオルを手にジョミーが水場のコンクリートに手をつくと、男がもたれてた木から身体を起こした。
「ブルーが待てと言ったから様子を見ていたが、どうやらお前は監視者に目覚めつつあるらしい」
「……か、んし、しゃ……?」
「だから無駄だと言ったというのに」
男は組んでいた腕を解いてジョミーに向かって手を伸ばした。まだ十分に距離は空いていたから、ジョミーは水場に後ろ手についたまま、慎重に横にずれていく。
「姿なき声を聞くだろう。それは神魔の長どもの声だ。喉が渇くだろう。水などいくら摂取しても、その渇きは収まるまい。お前が欲しているのは水などではないからな」
すべてを見透かされたように言われて、ジョミーの足が震えた。シンマってなんだ、この男は誰だ。
ジョミーに向かって伸びていた男の手の爪が、音を立てて長く伸びた。
「なっ……」
ナイフくらいに伸びた爪は、木漏れ日の光を、まるで鋭い刃のように反射する。
「あ……あああ、あんた、一体、な、何者……」
「ほう、なかなか余裕だな。私のことなど気にしてどうする。今から死に行くものが」
「死……っ!?だ、だって目覚めろって」
何に目覚めろなのかもよく分からないけれど、いきなり殺されると宣言されて動転しているのか、ジョミーは何もない左右に首を巡らせる。助けになるものなどなにもない。
「それは長どもの望み。私の望みは――――」
男の右足に体重が掛かり、ジョミーは端まで辿り着いていた水場から身を翻そうとする。
「監視者の死だっ」
少なくとも十歩の距離はあった。それなのに、一瞬で前に回り込んだ男の爪がすでにジョミーの喉に触れようと……。
「よせ、キース!」
痛みを覚悟して目を閉じたジョミーの耳に、金属を弾くような音と違う男の声が滑り込んできた。
恐る恐ると目を開けると、視界一杯に藤色が広がっていた。
驚いて後ろに一歩飛びのく。
それが人の背中であると気づいたのはそれからだ。
「ジョミーはまだ目覚めていない。もしかするとこのまま人として生きるかもしれな……」
「お前らしくないぞ、ブルー。その状態で目覚めない可能性など、本当に信じているか。目覚めてからでは遅いのだ。今のうちなら赤子の手を捻るよりも簡単に殺せる」
「キース!」
「あ……」
ジョミーを背後に庇って黒ずくめの男を対峙しているのは、夢に見た銀髪の青年だった。
その厳しい横顔が、ジョミーの小さな呟きを拾って僅かに返り見る。
血のように赤い瞳が、ジョミーの姿を捉えた。
血、のように、赤い……赤い、瞳、が。
美味しそうな、白い喉。その肌の下を流れる赤い道が、透けて見えるようだ。
逃げようとしていたはずの足が、一歩前へ出る。
ふらりと美味しそうな匂いに誘われるままに、銀の髪の青年に手を伸ばした。
「ジョミー!」
鋭い、悲鳴のような声にはっと目が覚める。
青年の腕を掴み、つま先で背伸びをしてジョミーが近付いたのは、青年の首筋だ。
「え、あれ……ぼ、ぼく何を……」
たぶん……助けてくれようとした恩人が美味しそうだなんて、一体何を。
すぐ傍まで迫っていた赤い瞳が、まだ噛んでもいないのに痛みを堪えるように揺れていた。
「ジョミー……君はもう……」
「ご、ごめんなさい!」
慌てて青年から飛びのくと、その背後で黒い方の男が手を振りかざしていた。
「う、わぁっ!」
転ぶようにして後ろへ下がったジョミーの目に、銀の髪の青年が手を横に伸ばしてもう一人の男を止めている様子が見えた。
一体何に巻き込まれているのか分からないままに、とにかく一旦逃げようと身を翻す。
「ブルー!お前はまだっ」
男の怒声が聞えたが、今は逃げることだけで精一杯だった。
金の髪の少年が転ぶように走ってその姿をコンクリートの建物の中へと消すと、キースは舌打ちをして伸ばした爪を元へ戻した。
「先ほどのあれを見ただろう。もうあいつは人間としては生きられん。監視者として目覚める前に殺さねば、我々が狩られる側になるのだぞ」
「……分かっている」
「目覚めは恐らく明日だ!その前に……」
「僕がやる」
ブルーはジョミーが逃げ込んだ石の建物を、痛ましい目で見つめた。
「僕がジョミーを殺す。だから君は手を出さないでくれ」
左右が対になった建物は、まるで墓標のように冷たい色をしてた。
ヴァンパイアものといえば、ブルーが吸血鬼なことが多いかと思うのですが(あの容姿だし。ものすごくハマる)、あえてジョミーがヴァンパイアで。
……ということを考えていると、いつの間にか美夕に辿り着いたという。
でもジョミーは男の子。
体格的にはラヴァはハーレイとかキースが適役な気がするんですが、ここではブルーで。血の契約はしていても、ラヴァと違ってブルーがジョミーの下僕ということはないです(^^;)
前・中・後編くらいで終わってくれたらと……。
死んでしまったジョミーの小鳥。
小さなジョミーは冷たくなった小さな身体を、泣きながら両手で擦り合わせて温めようとする。こうすれば、小鳥が息を吹き返すのではないだろうかと。
ふわりと背後に人の気配を感じて振り返る。すぐ傍に、一人の青年が佇んでいた。
いつの間にこんな近くに人が来ていたのか。
銀の髪と赤い瞳。白皙の面は整いすぎて冷たい感じがする。
「……お兄ちゃん……だぁれ?」
白と銀の服に藤色のマントを羽織った青年は、グローブを嵌めた手でそっとジョミーの頬に触れた。
「どうしたんだい?何を泣く」
この世の人とは思えないほどに美しい青年は、その容姿に相応しくまるで音を奏でるような声で言葉を紡ぐ。
きっとこの人は……人ではないのだ。
ジョミーは両手に抱えた小鳥を引き寄せ、青年から守るように胸に抱き込む。
「ぼくの小鳥、連れて行かないで」
「小鳥?」
ジョミーが抱き寄せた両手に目を向け、青年は首を傾げる。
「その子はもう死んでいる」
「ぼくの小鳥、まだほんの少し暖かいんだ。だからこうしていればきっともう一度飛んでくれる。連れて行かないで」
「ふむ……僕を天の使いとでも思ったのかな」
青年は指先で軽く顎を擦り、おもむろにグローブを外す。そうして伸ばされた手に、ジョミーは半歩下がったけれどそれ以上は動くことができなかった。
青年の手が、小鳥を包むジョミーの手に触れる。氷のようにひやりと冷たいそれに、ジョミーは大きく震えた。
「小鳥が暖かいのは、君の熱が移っているだけだ。いずれそれもなくなるだろう。その子は、土に還してあげなさい」
「でもっ」
「生命は、永遠ではないから美しい」
手の甲を軽く擦って、青年の手が再びジョミーの濡れた頬に触れる。ひやりとした感覚は同じだったのに、その指先の優しさに先ほどのように震えることはなかった。
「小鳥はその生命の限り生きたから闇に眠るのだよ」
「じゃあ……ぼくもいつか、この子のところへ行ける?」
ことりと首を倒して訊ねると、青年は赤い瞳を開き血のように赤い唇からひゅっと音を立てて息を吸う。
「……そうだね、いずれ、君も」
何かに驚いた風だったのに、青年はゆっくりと眉を下げて微笑んだ。
青年が微笑みを浮かべると、先ほどまでの冷たい氷のような、人形のような、そんな風にはもう見えなかった。
優しい、微笑み。
「さあ、僕も手伝うよ。小鳥を埋めてあげよう」
「うん……」
ジョミーが肩に頬を擦りつけるようにして涙を拭って頷くと、青年の手が優しく頭を撫でてくれた。
「……って夢を見た」
缶ジュースを片手に空を見上げてジョミーが今朝見た夢を語ると、一緒に登校していた友人はへえと気のない声を上げる。
「それってなんの深層心理だ?夢判断?」
「なんで夢判断なんだよ」
「だってジョミーが『小鳥が死んじゃった』なんて可愛らしく泣くなんてなあ」
「子供の頃の話だよ!それに6歳の頃に飼ってた小鳥が死んだのは本当にあったことなんだ」
友人はへえと同じ言葉を繰り返したが、今度は少し興味を惹かれた様子のものだった。
「その、人間とは思えない超美形に会ったのも?」
「そこなんだよ。そっちは曖昧なんだよなあ……でも子供の妄想にしちゃ、なんていうんだろう……想像の限界を超えてるっていうか」
「そこまでの美形となると逆に興味をそそられるな。でも男なんだろ?願望だったらお姉さんで見るよなあ」
「サムと一緒にするなよ。大事にしてた鳥が死んだときの夢だぞ。そんな色ボケしないよ」
「お前何気に失礼だよな……」
せっかく話を聞いてやったのにとぼやく友人に、もうひとつの夢は言わないことにした。
最近、夜になると誰かに呼ばれているような気がしてあまり眠れない。ジョミーの名を呼ぶ相手が誰かは分からないけれど、その声も、ジョミーを囲む大きな影も、夢の青年とは逆の意味でこの世のものとは思えない。
微笑むと優しかった青年とは違い、影はただ恐ろしい。
ジョミーは飲み終えた缶ジュースを通りがかりのゴミ箱へ放り込むと、隣の自動販売機で清涼飲料を買う。
「ジョミー、まだ飲むのか?腹壊すぞ」
「最近やたらと喉が渇くんだよ。飲んでも飲んでも足りない気がして」
「ああ、そういうことってあるよな」
プルタブを上げて一口飲んだところで、人の視線を感じた気がして横に目を向けた。
街路樹の陰に人が佇んでいる。
先を歩く友人の後を追いながら、その人物に目を向けていると、どうやら気のせいではなく青年もジョミーを見ているようだった。
黒い髪の、背の高い男。
ジョミーと目が合うと、男は途端に眼光を鋭く睨みつけてくる。
「ひ……っ」
「なんだ、どうかし……」
「な、なんでもないっ」
小さな悲鳴を聞いて振り返ろうとしたサムを小走りで追いかけて、その腕を掴むと振り返らずに走り出す。
見たこともない男に睨みつけられた。しかも尋常ではないほどに鋭く、敵意なんてものではまだ甘いくらいのきつい視線で。
関わらない方がいいだろうとサムを引っ張って急いで学校へ向かいながら、それでも気になってつい肩越しに振り返ってしまった。
だが街路樹の傍には、もうだれも立ってはいなかった。
またまたパラレル。
大学教授のブルーと、もうすぐその大学に入学予定(既に合格済み)の高校生ジョミー。
(と、いうことは時期的に2~3月くらいですね。やはり舞台は日本の暦(笑))
ブルーは何年前から容姿が変わってないのか分からないと噂されている若作りで年齢不詳。
出会いはジョミーが体験見学に来たとき。
とか一瞬にして無駄に設定が決まったのですが、あんまり話に関係ありません(笑)
そしてこの二人はまだ付き合ってません。
「こんにちはー」
研究室の扉を開けたジョミーは、ドアノブを握ったまま溜息をついた。
すでに見慣れた光景とはいえ、三日前に片付けたばかりの部屋がすでに元の状態に戻っていれば溜息をつきたくもなるというものだ。
「なんでこんなに物が散乱するのかな」
ジョミーは手首にかけていた紙袋をドアノブに掛けて、床の上に所狭しと山積みになった本をなるべく踏まないように掻き分けて奥へ進む。
「教授ー?部屋にいますかー?生きてますかー?」
先へ進むほど、本の山に何か呪文のようなものを書き付けた紙が混じって落ちている、その割合が高くなる。
「ジョミー」
声が聞こえた方に目を向けると、窓の近くに積み上げられた本の隙間から、ひらひらと左右に揺れる白い手が見えた。
「ああよかった、生きてる」
本は踏まないように気をつけているけれど、紙に関しては気にしない。散乱している紙はもはや必要ないものだ。ならばジョミーにとって理解不能な数字を羅列した紙は、なんの意味も持たない。
乱暴にページが開かれた本を一冊拾い上げて、窓際の堤防のようになっている本の山の一番上に置いて肘を掛けながら、その向こうを覗き込んだ。
「生きてますかとは酷いな」
「だって教授、ほっとくと何も食べないで研究室に篭りきりになったりするじゃないですか」
散乱する紙をベッドに、窓の真下で本を胸に。
覗き込んだジョミーを見上げた、眼鏡の奥のブルーの赤い瞳は、寝起きらしく随分と瞼が重そうだ。
「ほら、また眼鏡を掛けたまま寝てるし。顔を怪我したり、フレームが曲がりますよ」
横に膝を付きたいところだったけれど、ブルーの横は本の山があるのでそれを回り込む。
それでも動かないブルーの足の間に膝をつき、半ば覆い被さるようにして手を伸ばして眼鏡を取り上げた。
「ジョミー」
伸ばされた手を避けて起き上がると、取り上げた眼鏡を掛けてみる。
「うわ、度がキツイ。目が回りそう」
「乱視も入っている。それがないと君の顔も良く見えない。返しなさい」
「だったら寝転んでないで起き上がってください」
ジョミーはブルーの足の間にしゃがみ込み、眼鏡をかけたまま両手に顎を乗せて、また目を閉じたブルーを呆れて見下ろした。
「……まだ眠い」
「こんなところで寝るからですよ。効率のいい研究には、質の良い睡眠も大事だって言ってましたよ」
「ふぅん、誰がそんな適当なことを」
「あなたです。以前、中庭で」
「………」
眠そうに眉を寄せていたブルーの目が開いた。
ブルーが起き上がって顔が近くなっても、レンズの向こうの顔はぼやけてよく見えない。
「何度も言うが、君はまだここの学生ではないから教授などと呼ばなくていい」
「学生になったら呼ばないといけないなら、今からでも一緒でしょう?」
「学生になった後は、『人前では』という条件に変わる」
ぼやけた視界でも伸ばされた手は分かる。今度は逃げずに代わりに目を閉じた。
眼鏡が取り上げられて、瞼を開けると今度こそ何も隔てずに赤い瞳がすぐ傍にある。
「ジョミー?」
不思議そうに呼ばれて初めて、眼鏡をかけようとしていたブルーの手を止めていたことに気づいた。
「ああ……ごめんなさい」
眼鏡をかけたら邪魔になりそうだな、なんて。
一体なんの邪魔になると言うのだろう。
「弁当を作ってきましたら、あなたは中庭で日向ぼっこでもしながら食べてきてください」
「君の手作り?」
眼鏡をかけながら尋ねるブルーに、大仰に頷く。
「そう。ぼくの手作り。あなたがお願いしたら、いくらでも作ってくれそうな女の子がいるのに」
「君の料理が一番美味しい」
「味音痴のくせに」
放っておけばコンビ二エンスストアのサンドイッチやおにぎりばかり食べるブルーのために、ジョミーはせっせと栄養バランスを考えた弁当を作ってはこうして訪ねてくる。
しかもブルーはそれらなんにでもソースをかけようする。味が足りないかどうかではなく、単にそれが習慣だと言われたときには頭が痛くなった。
それを叱りつけたジョミーの手料理だけはそのまま食べる。ジョミー以外の人の料理にはすべてソースをかける。だから弁当を持ってくることが止められない。
すぐに食事を抜く。食べたら食べたでまた身体に悪そうな食べ方。
放っておけば絶対にこの人は病気になる。
そんな義務感に溢れたボランティア。
「ぼくはいつまでこうして弁当係を続けなくちゃいけないんでしょうね」
「ずっとしてくれたらいい。君の料理なら僕も食べるし、君も安心だろう。僕の助手になりたまえ」
「弁当を作ったり、掃除をしたり、助手じゃなくて家政夫の間違いでしょう、それじゃ」
「君と金で雇う関係になる気はない」
やれやれとジョミーはしゃがんでいた膝を伸ばして立ち上がる。
「ブルーは庭へどうぞ」
「一緒に食べよう。掃除はその後でいいだろう?」
「ぼくにも都合ってもんがあるんですよ!?」
この部屋の片付けだけでもどれほど時間が掛かるか分からないのに、食事までしていたら益々遅れる。日が沈むまでに終えなくては、中庭に追い出したブルーがそのままで転寝でもしてしまえば風邪を引いてしまう。
「分かっているさ。さあ行こう。君と一緒に取る食事は美味しいから箸も進む」
分かってない返事を返すブルーとのかみ合わない会話に、ジョミーは溜息をついて部屋を見渡した。
「明日も来るか」
二日に分ければどうにかなる。そうすると中一日でまたここに来なくてはいけないが、それならブルーの食事を明日も持ってくることになるし。
ジョミーの独り言に、ブルーは満足そうに微笑んだ。
「書物の海から引き上げろ」
配布元:Seventh Heaven
単にメガネでだらしなくて世話の焼けるブルーと、
面倒見のいい色々器用で家事の得意なジョミーが
書きたくなったというだけの話。
シャングリラ学園で、大晦日のそのまま続きです。
握り合ったジョミーの手を、そのまま自分のコートのポケットに招き入れたブルーはご満悦の様子で、苦手なはずの人込みの中でも笑顔を振り撒いている。
ここは人込みの中で、手を取り返そうと暴れたら周りに迷惑が掛かる。
ジョミーはそう自分に言い聞かせて、がっちりと握られた手を振り払うことを我慢した。それにカイロの入ったコートのポケットの中はとても暖かいし。
「ジョミー、ジョミー」
「なんですか」
「甘酒だ」
ブルーが指を差した茶屋の表には、甘酒ありますの紙がひらひらと冷たい風に煽られて揺れていた。
「順番が逆ですよ。先にお参りでしょう?」
「どうせ飲むなら一緒だよ、行こう。身体が温まるよ」
人の流れを縫ってまで店に向かうブルーに、ジョミーは引っ張られるままに諦めて進んだ。
だが。
「む、前生徒会長と新人ダメ生徒会長ではないか」
「あ、お前は!」
「キース・アニアン。君も初詣に来ていたのか」
店の軒先で、両手で甘酒の入った器を手に啜っていた相手にジョミーはあからさまに顔をしかめて立ち止まり、ブルーは目を丸める。
「機械が絶対のお前が神様に詣でるなんてね。意外と機械への信頼は薄いんじゃないの?」
「儀礼は儀礼だ。だからこうしてマザー二号も一緒に連れてきている」
キースの後ろの影にいたマザー二号を示されて、ジョミーは溜息をついた。
「人込みの中にこの箱持ってきて……迷惑だな」
「ヒトツノポケット、フタツノテ。ソッチコソメイワクヤナイノー」
「え?あ!う、うるさいなっ」
こんな恥かしいことを機械に突っ込まれるなんてとジョミーが慌ててブルーの手を振り切ってコートのポケットから手を引き抜くと、ブルーもポケットから手を出して、空になった手を見て眉を寄せる。
「ジョミー」
不満そうに手を差し出されて、ジョミーはその手を叩き落した。
「もうしません!」
「なんだ、小銭泥棒でもしたのか?」
「するか!そんなこと!」
小銭を返せと手を突き出してきたわけじゃない!
そう叫んだものの、マザー二号でさえ気づいていることに気づいていないキースに安心するような、不憫なような。
ちらりとキースを伺い、マザー二号に視線を落としたジョミーは思わず目を擦ってしまった。
「……キース」
「なんだ」
「マザー二号の防水加工は」
「なんだいきりなり。むろん完璧だ。以前温泉にも連れて入っていただろう」
「内部も?」
「なに?」
胸を張って答えたキースの眉間に皺が寄り、足元のマザー二号に目を落とした。
ジョミーとの話に気をとられている間に、手にしていた甘酒のカップにマザー二号の口(?)がつけられている。
「マ、マザー二号!?」
「ブンセキ、ブンセキ。ブンセキケッカ。ビタミンB1、ビタミンB2、ビタミンB5、ビタミンB6、アミノサン、ブドウトウ、ヲ、ケンシュツ」
紡がれた機械音の言葉に、焦りの色を見せたキースの様子が落ち着きを取り戻す。
「……見ろ、ただの分析だ」
「でもなんか急にロボットらしい喋り方になったぞ?」
ジョミーが首を傾げるのと、マザー二号の分析の続きはほぼ同時に告げられた。
「ビリョウノ、アルコール、モ、ケンシュツ。ミセイネン、ハ、コレヲ、キンジマス」
「え……?」
「ハイジョシマス」
マザー二号の胴体部分の蓋が開き、そこからドリルだのハンマーだの、さまざまな工具を先に取り付けたアームが飛び出す。
「ま、待て、マザー二号!」
甘酒のカップを手に、間一髪でその一撃を避けたキースは慌てて片手を前に突き出す。
「甘酒は本来アルコール飲料ではない!先程インプットしたがばかりのことを忘れたのか!」
「ミセイネンノ、インシュハ、キンシ、キンシ」
「やめろ、マザー二号!やめないかーっ!」
器用にも手にした甘酒を零さずに、繰り出される工具の攻撃を避けながら遠ざかって行くキースの背中に、ジョミーは軽く頭を掻いた。
「………行こうか、ブルー」
「その前に甘酒を……」
「マザー二号が戻ってきたらどうするんですか」
「でもジョミー」
ぐいぐいと引っ張って歩き出すと、名残惜しげに指でも咥えそうな様子で茶屋を返り見るブルーに溜息をつく。
「そんなに甘酒が飲みたかったら、ぼくが作ってあげますから、もう行きましょう」
マザー二号もだが、またキースが戻ってきたら厄介だ。
ブルーはぱちぱちと目を瞬いて、それから頬を緩めて再び上機嫌な笑みを見せる。
「それは、僕の家に来てくれるということかい?それとも君の家に呼んでくれるのかな?」
「どっちでもいいですよ」
ブルーが喜んでいるは、甘酒を飲めることなのか、それともジョミーとともに過ごせることなのか。
どちらなのかは恥かしいので聞かないことにした。