ブルーが帰ったあとのリオとジョミー。
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驚いた。あのブルーが声を荒げることがあるなんて。
腹が立とうと苛立とうとも、ブルーは静かに嫌味を言う。あるいは突き放す。もちろんまったく怒鳴らないわけではないし、ジョミーに絡むことではたびたび声を荒げることもあったといえど、それにしたってああも苛立つなんて珍しい。
言葉通り、ただ眠かっただけなのか。それとも別の理由があるのか。
けれど別の理由って?
首を傾げたリオは、先ほどまで嬉しそうだったジョミーが、心配そうな表情で窓ガラスに張り付いていることに気づいてその肩に触れる。
「ジョミー?」
「ブルー先輩、大丈夫かな。調子悪そうだったし、やっぱりついていけばよかったかな……でも」
窓に張り付いて、校庭を見下ろし不安を滲ませるジョミーの横顔に、苦笑して軽く肩を竦める。
「ジョミーは結構心配性ですね。大丈夫ですよ。ブルーは薬と相性が悪いことがよくありましてね。今回も大方そんなところでしょう」
ただ普通に寝不足などの眠気なら、さすがに早退まではないだろう。自分の意思ではどうにもできない睡魔だから帰ったのだ。
経験上からのあたりをつけたリオの言葉に、ジョミーは窓に手をついたままに振り仰ぐ。
「薬と?」
「ええ、気分が悪くなるとか、薬疹がでたとかではないので、そんなに心配することもないと思いますよ。眠いだけなら帰ってゆっくり休めばいいでしょうから」
「眠いって薬の副作用だったの!?」
「たぶんですが……ジョミーは一体なんだと思っていたんですか?」
「ぼくはてっきり、起きてみたらもう昼休みで、やる気をなくしたから帰ったものだとばっかり.……ぼく、やっぱり送ってくる!」
なんとはなしにジョミーの学業に対する態度が透けて見えるようなことを言って駆け出そうとしたジョミーに、慌ててリオはその手を掴んで引きとめた。
「ブルーを送ったら昼休み中には帰って来れません。だからブルーはあなたを置いていったんですよ」
「違うよ。先輩はぼくのこと、面倒なだけだ。でもぼくは、あの人に何か無理をさせるくらいなら、嫌われたって疎まれたっていいから、傍にいて手を貸したいんだ」
振り向いたその瞳に、圧倒される。
家まで送る、送らないなんて、それほど大仰な話でもないはずなのに、あまりにもジョミーが深刻な様子で言うものだから、つい掴んだ手を放しそうになる。
するりと抜け出した手に、リオは慌てて今度は身体ごとジョミーの前に回り込んだ。
「そこまでしなくとも、歩いて帰るだけで何かそれほど困った事態にはならないでしょう。それより昨日は入学式にも出ず、今日は早退だなんて君によくありません」
「ぼくのことなんて!あの人のことに比べたらっ」
「ですから。僕だってブルーが一人で帰ることが困難だと思えばついていきますよ。今日の様子ではそこまでではないと思ったから……あ、ブルー」
ジョミーの肩越しに見えた校庭を、気だるげな様子で歩くブルーの背中が見えて呟くと、ジョミーは途端に振り返って再び窓ガラスに張り付いた。
そのあまりの素早さに目を瞬いたリオは、窓ガラスに映ったジョミーの真剣な表情に眉を寄せた。
怪我をさせたことに、罪悪感や責任感を覚えることは分かる。ブルーの怪我はかすり傷どころではなかった。
だがそれを差し引いたとしても、ジョミーの態度はいささか大袈裟ではないだろうか。
ブルーが何か変調を起こしたときに見逃したりはしないというほどに、じっとその姿を追うジョミーの肩に手を置く。
だがジョミーは、今度は振り返らない。
ブルーの姿が校門を潜り、さらにその姿が見えなくなるまで、微動だにもしなかった。
ブルーが何事もなく歩き去り、それからようやく、ほっと力が抜けたように息を吐く。
「ジョミー」
ほら、大丈夫だったでしょう。
そう言うつもりだったのに、俯き加減にゆっくりと身体の向きを変えた、その横顔にリオは言葉を失った。
憂いを帯びたその横顔。
まだまだ子供そのものの、少年のような元気いっぱいの少女はそこにはいなかった。
俯いて落ちかかった髪を軽く指で掬い、小さく息をつく、その仕草。
ゆっくりと顔を上げたジョミーの、深い色をした緑玉の瞳がリオを捉えた。
その瞳に映った自分の表情は、何をそんなに驚いているのかと滑稽なほどに息をつめ、目を逸らすこともできずにただジョミーを見つめている。
「あの人は……」
声までも。
深く落ち着いて、ゆっくりと染み入るように響く声で口を開いたジョミーは、けれどすぐにはっと何かに気づいたように口を閉ざした。
軽く首を振って、もう一度リオを見上げたときには、先ほどまでの雰囲気はすっかり消えてなくなっていた。
「ブルー先輩はそんなに薬がだめなんですか?」
「え……あ……」
はっきりと見たのに、まるで先ほどのジョミーは幻だったかのようだ。
あんなに……透明な、それでいて強い瞳、なんて。
瞬きをしてみても、目の前にいるのは三つ年下の仕草も表情も子供っぽい少女だ。
「……ええ、ブルーは薬は苦手で。生来のものもあるようですが」
「ふぅん……じゃあ傷が痛いのは大変なんだ……」
ジョミーは考え込むように、もう一度窓の外を振り返った。